白い巨人よ、永遠に

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ルカ・モドリッチ解体新書〈3-4〉謎めくパーソナリティ

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〈3-4〉謎めくパーソナリティ

 

サッカーは、異なる性格・異なる価値観を持った「人間」たちが行うスポーツだ。個人競技だったり、相手の邪魔の入らない採点競技ではない分、人間同士の摩擦が生まれやすい。選手たちのプレーには必ず、その選手の性格や価値観が映し出される。せっかちな選手はしきりにパスを要求するし、冷静な選手はちょっとやそっとのプレッシャーにもへこたれない。プレーヤーの性格は、サッカー選手の特性を示すとともに、その選手の武器でもある。

 

モドリッチのパーソナリティ(人格特性)は多面的だ。お喋りが好きで、試合内外で絶えず誰かと話しこんでいる。先輩から可愛がられるような愛嬌もあるが、後輩の世話好きで説教臭い一面もある。八方美人で相手味方問わずに仲良くなってしまうのに、次の瞬間には負けず嫌いの眼光をギラつかせている。

 

プライドモンスターな問題児を多く抱えるレアル・マドリードでは、彼らと良い関係を築くために協調的なコミュニケーションをしてみせる。みんながみんなエゴイストだと、チームが上手く回らない。だからモドリッチは裏方にまわって黒子役を引き受けるが、それはチームメイトに服従して主導権を与えていることを意味しない。外面的には彼らに操られているように見えるのだが、実際には手のひらで猛獣たちを転がして遊んでいるのだ。その証拠に練習中の写真や映像では、クリスティアーノ・ロナウドセルヒオ・ラモスといった大型肉食獣たちとお戯れになっているシーンをよく見かける。美少女ルカちゃん相手にメロメロのキュンなのだ。

 

試合中、味方選手がゴールを決めたら、ぴょんぴょん飛び跳ねる。背の高い選手にお姫様だっこをしてもらう。隙あらば誰かとイチャイチャしている。あれはわざとやっているのか? 天然か? それとも印象操作か? ファンへのサービス精神か? 公共の電波を使ってあんな萌え仕草をしても許される35歳男性なんて、ルカちゃん以外に存在しないだろう。愛嬌があるというのは実生活だけでなく、サッカーにおいても重要なことだ。「あいつのこと嫌いだからパス出さない」と思われてしまえば、選手はピッチで孤立する。

 

対してクロアチア代表では、精神的な大黒柱としてチームを支えている。ボールを持ったら、まずモドリッチを探し、パスをするか、指示を仰ぎ、彼の意図を察する。モドリッチの理想とするゲーム展開をメンバー全体で共有し、その実現度がそのまま試合に反映される。とはいえ、ロシアW杯決勝トーナメントではチーム三位の走行距離(しかも一位のペリシッチラキティッチと200m差の72.3km)をマークしているので、誰よりも愚直に働いていたとも言える。指揮官自らが先頭に立って汗をかき、獅子奮迅の働きをしてくれるとなると、他のメンバーも頭が上がらないだろう。そんな絶対的な存在でありながら、モドリッチは全く偉ぶる素振りを見せない。だからクロアチアの選手たちも、監督も、ファンも、モドリッチのことを愛さずにはいられないのかもしれない。

 

人徳やコミュニケーション能力の高さもさることながら、モドリッチは真摯にサッカーに向き合う努力家でもある。彼がサッカーを日々研究し、その流行に適応し続けていることは前章で書いた。35歳になった今でも、20代の選手相手にフィジカルで負けないというのは奇跡に近く、それだけフィジカルコンディションに気を使ってきたのだろう。W杯終了直後のシーズン(18-19)にはさすがに堪えたようだったが、翌年のシーズン(19-20)から本調子を取り戻したのはさすがとしか言えない。努力家オブ努力家、ただし努力の痕跡は見せず、「テスト勉強なんてしてません」と飄々と言ってのけるタイプの努力家だったりする。

 

それでもモドリッチは、天才なのかもしれない。

 

『天才』という言葉は便利だ。その人の超越性を、たった二文字の単語で表現できる。雲の向こう、遙か高みにいるその人との距離感を表し、「なぜ『その人』が卓越して素晴らしいのか」を語らずして語ることを許してしまう。

 

モドリッチは『天才』と評価されることも多い。だが、なぜ彼が『天才』であるのか、どのようなタイプの才能を持っていたのかについて、語られている文章は少なかったのではないか。なぜかというと、冒頭からここまで何度も繰り返し書いているように、モドリッチは〈オールラウンダーの器用貧乏なMF〉として見られることが多いからだ。

 

モドリッチよりもパスの巧い選手、決定力のある選手、守備の上手い選手、足が速かったり、パワーのある選手、負けず嫌いでタフな、リーダーシップのあるキャプテンなどなど、「この分野でならきっと世界一だろう」という要素が、モドリッチには見い出しにくい。フィジカル・テクニック・メンタルの三拍子揃っている選手こそなかなか見当たらないものの、世界レベルの超一流選手の名前を挙げていくと、その三つをちゃんと兼ね備えているのが常である。

 

では、モドリッチのプレーを観ているときに感じる
『あのワクワク感』の正体は何だろう?

 

アウトサイドで綺麗なカーブを描く芸術的なパス、下から浮き上がる弾道でネットに突き刺さるミドルシュート、二人三人を相手にワルツを踊るかのように躱していくドリブル、想像もできない方向へのファーストタッチ、ゴール前に飛び出した味方へのスルーパスやピンポイントクロス。攻撃だけではなく守備でも驚かされる。瞬く間に寄せるスピード、気が付けば最終ラインのオーガナイズ、秒単位で変化する状況に応じたコーチング、鷹の目のような超広範囲の視野、それらだけではない『あり得ないプレー』の数々。ありとあらゆるプレーが正確なだけではなく、「なんでそんなプレーを選んだんだ?」「なんでそんなプレーを思いつけるんだ?」と、こちらの度肝を抜くような最適解を瞬時に導いて具現化してしまうのが、ルカ・モドリッチなのである。

 

これまでの全九回で、モドリッチがどんな状況でも、どんなプレーでも、適切に選ぶことが出来るということを書いてきた。何でも出来るからこそ、プレーの選択肢(アイディア)がいくつも出てくるし、選択肢が多くて相手に読まれにくいからこそ、何でも出来る余裕が生まれる。つまりモドリッチは、「次にどんなプレーをしてくるか全く読めない」という点で脅威的であり、《天才的なエンターテイナー》なのだ。内容や結果だけでなく、娯楽性というプラスアルファも魅せてくれる。自ら誰よりもサッカーを楽しむことで、サッカーの楽しさを教えてくれる。だからサッカーを知らない人にも、サッカーの感動を伝えることが出来るのかもしれない。

 

そのような〈ただのテクニシャンではないMF〉だったからこそ、モドリッチは世界最高峰の個人タイトルの一つである『バロンドール』に選ばれた。バロンドールに選ばれるのには時の運も必要だし、所属するチーム(クラブ・ナショナル両方)の成績も関わってくる。そしてまた投票では、数字で説得できるFWが選ばれることが多く、数字に表しにくい活躍をするMFが選ばれること自体、珍しい結果だったのだ。ところがモドリッチは特にゴール数を稼いだわけでもないのに選ばれ、来場者からの拍手喝采を受けた。

 

キャプテンとして小国クロアチアを準優勝にまで導いた功績、マドリーでCL三連覇を成し遂げた功労者として、無数の記者や関係者たちがモドリッチを推した。ただボール扱いが巧くてドリブルが速いだけの選手では、『世界の頂点にいるMF』だとは評価されない。ボールを持ったときのプレーだけでなく、ボールを持っていないときのプレーも目を見張る。超広範囲な視野によって状況を認識し、複数の選択肢の中から予想外のプレーを選択することも出来る。マインド(心)・テクニック(技)・フィジカル(体)が高次元で融合した、最高のパフォーマンスを発揮できたからこそ、『彼こそが世界の頂点にいるサッカー選手だ』と認められたのだ。

 

伝説は、まだ現在進行形で続いている。2022年カタールW杯まであと一年だ。致命的な負傷さえなければ、チームの主軸として試合に出られるだろう。もしかすると『ルカ・モドリッチ』という映画は、これからクライマックスを迎えるのかもしれない。祖国クロアチアのW杯優勝という目標は達成できるのか? 先の読めない展開を楽しみに、まだ映画館の席に座っていようと思う。

 

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